.FatalReal

基本,健忘録兼日記。 たまに思っている事とか。

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かなり前に書いた物を。
[ ロボットの神様 ]

 判断が「人」にゆだねられていた当時、それを決断できる人、その責任を背負える人がどこにもいなくて、除細動を行うことは難しかったのだけれど、外国製の、判断を行う機械が国内に入ってきてから、人は責任から解放されて、結果としてたぶん、ずいぶん多くの人が助かるようになった。

責任の所在を明確にしたがらない風潮というのは,ある。
なぜ責任を取りたくないかと考えると,やはり教育と文化両面の理由があると思う。

ひとつは教育で,責任の重大性を説く過程に置いて,最終的な結論が,
「責任を負うととんでもないことになるので,みんなで幸せになる為には,
「いかに責任を負わないですむか」
「いかに責任の所在を曖昧にするか」

と言う事が重要である」

と暗に教えている為ではないか,と思っている。

文化的な側面と言うのは,失敗者を許さない風潮で,一度失敗すると二度と同じ位置には復帰できない,もしくは復帰しても「あいつは一度失敗しているから」と常に悪いイメージが先行し,不利益を被る,と言うこと。

要は,責任を回避する・曖昧にする方法はよく知っているけど,責任の取り方は自決以外知らない。

一度失敗する(責任を取らされる)と,その後,どんなに評価されることを行っても,常に失敗者のレッテルが貼られる為ではないか,と。

逆に責任の所在を誰も反論できない物に置くことで,周囲が能率的に動くと言うのはあると思う。
先の例では,例え失敗しても,
「機械の判断だから間違いもある」
「しかし,現状ではこの機械の判定が最も正解確率の高い物だから使い続けよう」

とかになって,誰も責任を負うことなく,しかし,相変わらずその機械を使い続ける。
結果的に多くの人を救うことになる。

個人的には,責任を明確にすることは大切だと思う。
しかし,その前提として必須なのが,失敗者を許す寛大な社会意識と,成功者を妬むのではなく,賞賛する心だと思っている。
それらが未熟,もしくは,ほぼ介在しない社会に於いては,責任を明確にすると言うことは,即ち自殺者を量産している様なものではないか,と。

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