.FatalReal

基本,健忘録兼日記。 たまに思っている事とか。

オレは「使い走り」で十分です

かなり前の書き込みから。
[ 制約を身につける ]

 「ここまでは得意ですが、ここから先はできません」という制約を持つ人が得意分野に熟達すると、その人は専門家と呼ばれるようになる。

 「得意不得意こそありますが、私は基本的になんでもやります」という人が全方向に頑張ると、その人は「熟達した使い走り」になってしまう。

なるほど。
この二択の場合,自分は「熟達した使い走り」なんだな,と思う。
社員教育と無縁な会社に勤める者に取って,日頃から「自分の立ち位置をアピールしておく」事の重要性は,それなりに分かっているつもり。
それでも「使い走り」の立ち位置に甘んじるのは,もちろん,今更イメージの刷新を行う事が非常に困難な事もあるけれど,それ以上に楽だからと思う。
「使い走り」は自分で考える必要がないし,責任も取らなくて良い。
そして,そう言った「道具」になる人間が,少なからず組織には必要で,責任ある立場になるまでは,歯車の一つ,道具の一つである事が,ある意味「下っ端」の責任だと思っている。
「使い走り」の何が悪いの?と。
給与が同じである以上,楽をしたがるのが人間だと思う。
そう言った意味では,「熟練した使い走り」は,少なくとも気は楽になる。

 24時間、どんな患者さんでも受け付けます、断りませんという病院は、頑張るほどに、周囲の施設はそれを単なる道具であると認識していく。
 便利な道具は頭を使わず利用できるから、利用の履歴が経験として蓄積されない。
 そうした施設が99人の急患を引き受けてみせたところで、100人目に断られた誰かは「使えねぇな」と舌打ちすることになる。

舌打ちされた経験もあるが,基本的に断らないので,それ程辛辣な態度を撮られた事なない。
ただ,舌打ちされて罵られても,仕事だから,給与の分までは耐えなければいけない,と思う。
ひたすら耐えた結果,体は壊れたけど,この社会で生き残るには,生き残る金を得るためには必要なコストだったと思う。
年功序列制が生き残っている会社に務めている以上,給与は処理した仕事に対して得られるというより,「どれだけ苦痛に耐えたか」,「どれだけの時間を捧げたか」によってもたらせられると,実感を持って確信している。

そして,別のエントリー。
こちらにも似た主張がある。
[ 信頼地形の使いかた ]

 いつでも声をかけることができ、無理な依頼もすぐこなしてくれ、嫌な顔ひとつみせない誰かは、信頼されるのではなく道具として認識される。
 あらゆる依頼はできて当然と認識され、感謝の念は成功を重ねるほどに減じ、失敗すれば舌打ちされ、それ以降、その人の顔ばりは無能の代名詞として、話題の種に消費される。

失敗し,無能の代名詞として扱われる様になれば,本来,失業の危機な訳で,そうならない為の努力は各人行っていると思う。
それが「使い走り」ではなく「専門家」になる事であり,信頼される事なのだと言う事もよく分かる。
しかし,もし「使い走り」たる自分が急に「ここまでは得意ですが、ここから先はできません」と,「専門家」気取りを始めたとして,それが自分の評価に繋がるとは思えない。
周囲の評価は信頼の遠因で,給与,即ち生存権の直接原因であるから,これを意図的に下げると言うのは,自殺行為に近い。
今まで通り「得意不得意こそありますが、私は基本的になんでもやります」と言っていると,狡い言い方をすれば,ミスや時間がかかった原因に「不得意分野だったので」と言い訳も出来る。
「専門家」が自分の専門分野で失敗すれば,評価も信頼もガタ落ちだが,「使い走り」が不得意分野で失敗しても,それほどダメージは大きくない。
「元々不得意分野だったから」とか,「所詮あいつじゃ無理だ」とか,各人で自分が納得できる理由付けをしてくれる。

「道具」になること,「使い走り」を良しとしないのは,それが直接的な収入につながらないから,というなら理解できるが,もし,尊敬されないとか,雑多に扱われるから,と言うのなら,お門違いも良いところだと思う。

仕事は,尊敬されたいとか,バカにされたくないとか,そんな理由で行うものではなく,石器時代と同じく正にこの世界で生き残るために行うものだと思っている。
ましてや充実感を得たいとか,好きなことを仕事にしたいなど,最早,生存競争を小馬鹿にしているとしか思えない。
人は,生き残るため,金を得るためだけに仕事をするのだ。
少なくとも自分はそう。
この日本で生きていくには,どうしても路銀が必要で,継続的・効率的に路銀を得るために苦痛(仕事)に耐え,その日その日を生き残る。
「道具」になることや「使い走り」になることを忌諱できるほど,恵まれた環境に生きてはいない。

今日も生き残れたと安堵するほど不安定ではないが,毎年の大晦日には,「今年一年,また生き延びれたな…」としみじみ感じる程度に不安な状態ではある。

いつまでもこの状況が続くとは思っていないが,毎月給与は支払われている程度に安定している以上,せめて寛解期に入れるまでは,少しでも長く続いて欲しいと願っている。

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